第1章
婚約者の西内一誠(にしうち いっせい)は、筋金入りの負けず嫌いだ。恋愛においてもそれは変わらず、ほんの一歩たりとも私、光岡璃子(みつおか りこ)に譲ることはなかった。
共に山へ登ったときもそうだ。息を切らしている私に手を差し伸べるどころか、「どっちが先に頂上に着くか、勝負しようぜ」などと言い出した。
喧嘩をして口もきかずにいた頃、私が急性胃腸炎で意識を失うほどの痛みに襲われたときすら、彼は私が自ら「負けだ」と口にするまで、決して病院へ連れて行こうとはしなかった。
そして、ふたりの結婚を祝うパーティーの夜。
誰かが、じゃんけんで負けたらデコピンという罰ゲームを持ちかけた。最後まで勝ち残った者は、願いをひとつ叶えてもらえるという。
一誠は次々と相手を打ち負かし、私も容赦なく三度、額を弾かれた。
けれど、私の親友、笹田繭香(ささだ まゆか)と向き合った途端、あれほど燃やしていた彼の闘志は、嘘のように消え失せたのだ。
1回戦。一誠はつい勝ってしまったが、繭香の額に、撫でるようにそっと指を弾いただけだった。
2回戦、3回戦。彼は明らかに手加減して、わざと遅れて手を出した。繭香は望みどおりに最後の勝者の座へ収まった。
皆にはやし立てられ、繭香はさらりと笑ってみせた。けれど、その瞳は一誠だけをまっすぐに捉えている。
「結婚式、挙げてみたいな。
私は結婚なんてするつもりないけど。親にくらい、ちゃんと晴れ姿を見せてあげたいじゃない」
一誠は口元をゆるめ、その眼差しを正面から受け止めた。
「負けは負けだ。仕方ないな」
ヒューヒューという冷やかしの声が上がり、あたりを包んでいく。
私は赤くなった額を押さえたまま、ただ黙っていた。
そして、ぼんやりと思った。
完膚なきまでに負けたこの恋はもう、ここで終わりにしよう、と。
第1話
「繭香、どんな式がいい?すぐに手配させるよ」
一誠の親友である浅利信弘(あさり のぶひろ)は、待ちきれないとばかりに実家のブライダル会社の担当者へ連絡を入れた。
一誠の妹の西内菜月(にしうち なつき)は、はしゃいだ様子で繭香の腕に抱きつき、甘えた声を出す。
「じゃあ私、ブライズメイドやる!誰にも譲らないからねー!」
私の幼なじみでヘアメイクアーティストの小林夕未(こばやし ゆうみ)も、すぐさまスケジュール帳を開いた。
「ヘアメイクは私に任せて。式はいつ?前もって空けておくから」
繭香はそんな皆を見回し、ふわりと微笑んだ。
「大げさにしなくていいよ。海辺でささやかに挙げられれば十分。
思い立ったが吉日って言うし、来週の土曜なんてちょうどいいんじゃない」
「おいおい」
一誠が片眉を上げる。
「来週の土曜は、俺と璃子の式だろ」
「友達でしょ。ほんの数時間ずらして、私に先にやらせてよ。そっちの邪魔はしないからさ」
一誠は小さく笑い、あっさりと白旗を上げた。
「はいはい、わかったよ。お前の言うとおりにする。負けたのは俺だしな」
皆が繭香の式の段取りで盛り上がるなか、私は隅の席で黙り込んだまま、心がゆっくりと底へ沈んでいくのを感じていた。
繭香の結婚式は、一誠がわざと負けて叶えてやったもの。
私の結婚式は、彼が勝つために慌ただしく決めたもの。
1か月前のビジネスパーティーで、一誠の宿敵が突然、年内に結婚すると宣言した。
負けず嫌いに火がついた一誠は、その場で私たちが来月に式を挙げると公表したのだ。
あまりに時間がなく、私は慌てて信弘にプランニングを頼んだ。けれど返ってきたのは、「実家の会社とはいえ、プランニングは俺の管轄外だから」という冷ややかな返答だった。
ブライズメイドが1人足りず菜月に頼んだときも、首を縦には振ってもらえなかった。
ずっと前から花嫁のメイクを引き受けると約束してくれていた夕未にさえ、急に予定が入ったと断られた。
そもそも繭香をこの輪へ連れてきたのは、ほかならぬ私だ。
それなのに、今では私のほうがすっかり部外者だ。
一誠に弾かれた額は、まだじんじんと痛む。けれど、いま胸を締めつける鋭い痛みには遠く及ばなかった。
私が落ち込んでいることに気づいたのか、一誠が眉をひそめて口を挟んだ。
「璃子もいるんだぞ。お前ら、言葉に気をつけろ」
繭香の笑顔が一瞬だけこわばり、すぐに元どおりになる。
「もう、勝手にカップル扱いしないでよ。
璃子、じゃあちょっとだけ、婚約者さん借りるね」
相談でも、お願いでもない。それはただの通告だった。
私は深く息を吸い、できるだけ落ち着いた声を出した。
「嫌よ。私の式は、絶対に延期しない」
その場が、水を打ったように静まり返った。
真っ先に不満を口にしたのは信弘だった。
「みんな友達なんだからさ、ちょっと協力するくらい、いいじゃないか。
それに、さっきのゲームは繭香の勝ちだったんだ。願いを叶えてやるのが筋だろ」
夕未もすかさず同調する。
「そうよ、それは璃子が悪いよ。負けは負けなんだから」
「負けを認められないなら、最初から参加しなきゃいいのに」
菜月が小声でぼやいた。
私は何も言わず、ただ静かに一誠を見つめた。
このばかげた結婚式を彼が止めてくれさえすれば、私はすべてを水に流し、何もなかったことにできる。
けれど、彼はためらった。
繭香は唇を噛み、努めて明るい声を出した。
「いいのいいの、今のは聞かなかったことにして。
璃子、怒らないでね。親をごまかしたかっただけなの。じゃないと、無理やりお見合いさせられちゃうから。
でも、それもいいのかも。どうせ好きな人とは、もう結ばれないんだし。誰と結婚したって同じだよね」
「馬鹿言うな。好きでもない相手と結婚なんて、させるかよ」
その一言で、一誠の迷いは綺麗に吹き飛んだ。彼は繭香を力強く腕の中へ引き寄せる。
ほかの皆も繭香を囲んでなだめ、ようやく彼女は涙まじりに笑った。
私は自嘲気味に唇を歪めると、バッグを手に席を立った。
「璃子……」
繭香が追いかけようとする。
次の瞬間、一誠の気のない声が響いた。そこには、私が必ず折れるという揺るぎない確信がにじんでいた。
「放っとけよ。式の当日、あいつが自分から戻ってこなかったら、俺の負けでいい」
私は決して振り返らなかった。
付き合って7年。私はいつも、彼に負けてばかりだった。
だから今度こそ、自分のために勝ってみせるのだ。
第2話
翌日になっても、一誠は帰ってこなかった。
スマホに届いていたのは、繭香から明け方に送られてきたメッセージと写真だけだった。
【璃子、昨日はみんな盛り上がって飲みすぎちゃって、そのままうちに泊まったの。一誠は今夜は帰らないけど、心配しないでね】
写真には、上半身裸のまま繭香のベッドで酔いつぶれている一誠が写っていた。そのすぐそばには、彼女が脱ぎ捨てた下着まで写り込んでいた。
私は長いこと、その画面を見つめていた。
問い詰める言葉を打ちかけては消し、結局何も送信できないまま、重いため息をついた。
スマホの画面を暗くし、式に参列するためにやってくる両親を迎えに、私は空港へ向かった。
道端でタクシーを待っていると、見慣れた一誠のマイバッハが目の前にゆっくりと停まった。
彼は窓を下ろし、軽く顎をしゃくる。
「璃子、送ってくよ」
私は一瞬、言葉を失った。
けれど、ひしめき合う車の列を見て、結局は車に乗り込んだ。
座った途端、甘ったるい芳香剤の匂いが鼻をついた。
繭香がいちばん気に入っている香りだった。
助手席には、ピンクのキャラクタークッションが置かれていた。
一誠はキャラクターものが好きではないし、ピンク色なんて大嫌いなはずなのに。
彼は、私が膝に抱えたクッションにちらりと目をやった。
呆れたような口ぶりで弁解する。けれどその声には、隠しきれないかすかな嬉しさがにじんでいる。
「繭香が勝手に置いてったんだよ。あいつ、完全に俺を運転手扱いしてるよな」
私は何も答えず、窓の外へ顔を背けて目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは、私と一誠が付き合い始めたばかりの頃のことだ。
遠くの有名な神社まで足を運び、何時間も並んでようやく手に入れた交通安全のお守りを、一誠は見もせずに放り投げた。
「車の中にごちゃごちゃと物を置くのは嫌いなんだ」
私を冷たくあしらうのに大した理由はいらない。けれど繭香のためなら、自分のルールを曲げる言い訳がいくらでも出てくるらしい。
「着いたぞ」
車が停まる。
目を開けた私は、その場で全身を固くした。焦りと怒りが、一気に胸の奥からこみ上げてくる。
「一誠、空港に両親を迎えに行くんじゃなかったの?ここ、どこ?」
一誠は落ち着き払ってシートベルトを外し、さも当然のように言った。
「どうせ芝居をするなら徹底的にな。今日は繭香の両親が来てるから、みんなで食事するんだよ」
「じゃあ、うちの両親は!?」
彼の眉間に、かすかな苛立ちが浮かぶ。
「いい大人なんだ、迷子になんてならないだろ。
ホテルまで送らせるから、心配すんな」
「そのお芝居、あなたたちだけで勝手にやって。私は付き合わないから!」
胸の奥で煮えくり返るものを必死に抑え込み、私はドアを開けようと身をひるがえした。
その腕を、一誠が力強くつかむ。
不快げに眉をひそめたその目は、まるで理不尽なわがままを言う相手を見るようだった。
「わがまま言うなよ。お前らが仲いいのは向こうの両親も知ってるんだ。お前がいなきゃ不自然だろ」
険悪な空気で睨み合っているうちに、スマホが震えた。
両親からの電話だ。
慌てて通話ボタンを押そうとした、まさにそのとき。
一誠が不意に身を乗り出し、私の手から強引にスマホを奪い取った。
「もう時間がない。食事が終わったら、一緒にご両親のところへ行くから。
忘れるなよ。俺たちはゲームに負けたんだ。みっともない真似はするな」
ゲーム、ゲーム。また、ゲーム。
急に全身から気力が抜け落ち、言いようのない切なさに、鼻の奥がツンとなった。
彼の負けず嫌いに付き合って、無理をしてばかげたゲームに興じるくらいなら、まだ我慢できた。
でも、繭香が加わってから幾度となく繰り返される、負けは負けという言葉。それを突きつけられるたびに、自分がひどく惨めな笑い者になった気がしたのだ。
私は深い失望を隠すことなく、一誠を見つめた。
ふと、たった一言だけ彼に聞いてみたくなった。どうして、と。
けれど口元まで出かかったその虚しい言葉も、急にどうでもよく思えた。
私は口の端をわずかに上げ、それから静かに唇を開いた。
「わかった。一緒に行く」
一誠はほっと息をつき、満足げに手を差し出してきた。
私はさりげなくそれを避け、淡々と告げる。
「そろそろスマホ、返してもらえる?」
私のよそよそしさを感じ取ったのか、一誠の胸が大きく上下した。
私は構わずスマホを受け取り、そのまま彼の宿敵にあたる人物へメッセージを送った。
【この前、あなたのプロポーズを断ったこと。今からでも撤回できる?】
第3話
一誠と共に高級料亭の個室へ入ると、すでに全員が揃っていた。
私は何事もなかったように挨拶を済ませ、隅の席へ静かに腰を下ろした。
繭香がごく自然な動作で、一誠の腕へ手を絡める。
「お父さん、お母さん、この人が私の彼氏。
来週の土曜に結婚するの。これで安心してくれるでしょ」
私は彼女の薬指で誇らしげに輝くピンクダイヤを見て、それから自分の指にはめられた、小さなメレダイヤへ目を落とした。
ダイヤなんて業者のマーケティングの産物、大切なのは二人の絆だ。かつて一誠はそう言っていた。
それなのに繭香に対しては、世界にひとつだけのピンクダイヤを惜しげもなく贈ったのだ。
私は自嘲するように笑い、指輪を外そうとした。
その瞬間、隣にいた菜月が私の指から乱暴に指輪を引き抜き、声をひそめて言った。
「早く外してよ。お兄ちゃんもお兄ちゃんだよ、なんであなたとおそろいの指輪なんてしたままなの。危うくバレるとこだった」
こすれた指が焼けるように痛む。けれど私の心は、すっかり冷え切っていた。
かつて、荒れ狂う海で溺れかけた菜月を命がけで救い出したのは、ほかならぬ私だった。
その後、私が一誠と付き合い始めたとき、彼女は「私のお義姉さんは絶対に璃子さんがいい」って、満面の笑みで言ってくれたのに。
でも繭香が現れてからというもの、何もかもが変わってしまった。
向かいの席では、繭香が特選牛のやわらか煮を箸でつまみ、一誠の口元へ運んでいる。
一誠は脂っこいものがひどく苦手だ。
前に彼の誕生日に手料理を振る舞ったときは、油が何度も私の手にはねたのに、見ただけで食欲が失せると吐き捨てられ、一口も食べてくれなかった。
私は思わず制止の言葉を口にしそうになった。
けれど彼はわずかに眉を寄せただけで、仕方ないなとでも言うように素直に口を開け、それを食べた。
期待に満ちた繭香の視線を受け、一誠は困ったように甘く笑う。
「お前が食べさせてくれるなら、何だって美味いよ」
わざわざ言葉にしなくても、一誠には繭香の言いたいことが手に取るようにわかるのだ。
ふたりの呼吸は、もうそこまでぴったりと合っていた。
「また熱々を見せつけてくれちゃって」
信弘が楽しげにはやし立てる。
「おじさん、おばさん。繭香のことは一誠に任せておけば、何も心配いりませんよ」
夕未も笑いながら話を引き取った。
「そうなんです。一誠くん、繭香にすごく優しいんですよ」
菜月は自信ありげに胸を張って請け合う。
「うちの両親も繭香さんのこと大好きで、お嫁さんは繭香さん以外考えられないって言ってるんです」
目の前で繰り広げられるその茶番劇を、私はただ滑稽にしか思えなかった。
式の日取りが決まってから、私は何度も一誠に、先にうちの両親に会ってほしいと頼んだ。
けれど彼は、いつも仕事が忙しいの一点張り。友達を呼んで賑やかに場を盛り上げてもらうなんて、なおさらありえない話だった。
「まあ、繭香には一誠さんも、皆さんみたいなお友達もいるんですもの。もちろん安心だわ」
繭香の母親は心底嬉しそうに笑い、それから親しげに私へも声をかけてきた。
「璃子ちゃん、繭香の結婚式では、ぜひブライズメイドをお願いね」
私はゆっくりとナプキンで口元を拭い、静かに答えた。
「いえ、おばさま。あいにくその日は用事がありまして」
「親友の結婚式より大事な用事なんてないでしょう。ここは私の顔を立てて……」
「その日は、私も自分の結婚式で忙しいんです」
その思いがけない一言に、全員が一斉に顔を見合わせた。
一誠はぎこちなく咳払いをして、慌てて話題を変えようとする。
夕未は鋭い目配せで私をいさめ、信弘と菜月は無言でスマホを取り出して猛烈な勢いで画面を叩き始めた。
次の瞬間、長らく動きのなかった友人たちのグループトークに、立て続けにメッセージが流れ込んできた。
どれもこれも、空気を壊した私を一方的に責め立てる言葉ばかりだった。
私はざっと目を通すと、迷わずそのままグループを退会した。
ちょうどそのとき、両親からもメッセージが届いた。
【璃子、影山くんがホテルまで送ってくれたよ。心配しないで、用事が済んだらおいで】
私はそれを読み、ほっと胸をなで下ろした。
それから手元のバッグからご祝儀袋を取り出してテーブルへ置き、かすかに笑みを浮かべる。
「私も式の準備がありますので、お先に失礼します。
おふたりの式には出られませんから、ご祝儀だけ先にお渡ししておきますね」
私は彼らの反応を待たずに、静かに席を立った。
背後で、くすくすと笑う声がした。
誰もが、私がただつまらない意地を張っているだけだと信じて疑わないのだ。
けれど彼らはなにも知らない。私を迎えに来てくれたあの人がもう、店の外で待っていることを。
今度こそ、私は本当に彼らの前から立ち去るのだ。
第4話
両親をホテルに落ち着かせてから、私は新居へ自分の荷物をまとめに戻った。
ところが部屋の中は、予想以上に騒がしかった。
リビングの中央に立つ一誠は、電話をしながら家政婦に次々と指示を出し、繭香の荷物を運び込ませている。
彼はすっかり慣れた口ぶりで、繭香のサイズをよどみなく告げた。
「このサイズで、ウェディングドレスをもう何着か用意しておいてください。明日、彼女と試着に行きますので」
繭香の好むデザインについて担当者と打ち合わせを終えたところで、一誠はようやく私の存在に気がついた。
電話を切り、私へ向き直る。
「璃子、ちょうどよかった。
繭香のご両親が何日か泊まりに来るんだ。バレないように、お前の荷物はどこかに隠しておいてくれ。
その間はホテルに泊まっててくれよ。どうせ式の当日も、ホテルで支度するんだしさ」
言い終えたところで、一誠はふと言葉を切った。ようやく思い出したらしい。
先週、うちの両親を何日か泊めてもいいかと相談したとき、彼は眉間に深いしわを寄せて、にべもなく断ったのだ。
「他人が家に上がり込むのは好きじゃない。いい大人なんだし、まだ結婚もしてないのに、少しは距離感ってやつを考えろよ」
自らの矛盾に気づいたのか、一誠は口を開きかけ、何か言おうとした。
まさにそのとき、着信音が鳴り響いた。
画面に表示された名前を見た途端、一誠の鋭い目元がふっと緩む。
彼はもう私に一瞥もくれず、足早にベランダへ出て電話に出た。
私が荷物をすべてまとめ終えた頃には、一誠の姿はどこにもなかった。
私はついでに清掃業者へ連絡を入れた。
ふたりで撮ったウェディングフォトも、毎年の記念日に一緒に作った思い出の品も。
一誠にまつわるものは何もかも、業者にまとめて処分してもらった。
ホテルに戻ってから、ようやく一誠からメッセージが届いた。
【璃子、もうすぐ家に着く。荷物はまとめ終わったか。鉢合わせしたら説明が面倒だからな】
私は一切返信せず、彼らの連絡先をひとつ残らずブロックした。
……
結婚式の当日。
海辺に建つリゾートホテルの砂浜には、ウェディングマーチが晴れやかに流れている。
壇上に立つ一誠は、隙のない完璧なタキシード姿だった。
バージンロードの先から、純白のドレスをまとった繭香がしとやかに歩み寄ってくる。
友人たちは楽しげにはやし立てている。なのに一誠は、なぜか妙に苛立っていた。
ゲームをしたあの日の、璃子の落ち込んだ表情が、勝手に脳裏によみがえった。
繭香の望む海辺の結婚式をわずか1週間で仕上げるため、一誠は目の回るような忙しさで駆け回っていた。璃子と言葉を交わす暇さえなかったのだ。
今になって、ようやく思い出す。
あの日、宿敵の影山徹(かげやま とおる)に負けたくない一心で、自分は璃子との結婚を慌ただしく決めた。
そのくせ仕事に没頭し、式の準備にまつわる細々とした雑事を、何もかも璃子へ押しつけてきた。
友人たちに至っては、繭香を「裏切らない」ために、わざと璃子への協力を断り、約束まであっさりと反故にした。
それでも璃子は、ひと言の愚痴もこぼさなかった。黙々とひとりで段取りを整え、すべてを完璧にこなしてみせた。
璃子はいつだって聞き分けがよかった。あまりにできすぎていて、彼女だって傷つき、苦しむのだという当たり前のことを、自分はすっかり忘れていたのかもしれない。
けれど今回ばかりは、さすがに度が過ぎたようだ。
そこまで考えて、一誠は深く息を吸った。
大丈夫だ。璃子に償う時間なら、これから一生ある。
今夜の璃子との結婚式のことを思うと、一誠の心はまた明るく浮き立った。
ひと通りの式次第が終わり、皆が席について食事が始まる。
一誠は上の空のままスマホを取り出し、璃子とのトーク画面を開いた。
やり取りは、繭香の家族を新居に迎えたあの日で完全に止まっている。
一誠は息をのんだ。
璃子は、喧嘩して口をきかなくなることを何より嫌う。
たとえ喧嘩をしても、こんなふうに1週間も連絡を絶つことなど、一度もなかった。
胸に広がる不安を必死に押し殺し、メッセージを打とうとした、そのとき。
ネットニュースの速報が、次々と画面へ表示された。
【IT業界の寵児・影山徹が電撃結婚。花嫁はまさかのあの人!?】
一誠は不審に眉をひそめ、記事を開いた。
その瞬間、彼は驚愕に目を見開いた。